38歳エンジニアが40歳でリタイアを目指す

38歳エンジニアが40歳でリタイアを目指すための日常を綴ります

競争という負のループから脱出する

思えば保育園の頃から競争するように教育されていたと思う。

 

例えば、運動会のかけっこが挙げられる。

私の場合、運動が苦手で足も遅かった。

それでも運動会当日はいつもより早く走れた気がした。

いつも以上にパフォーマンスが発揮できたと感じた。

 

しかし、両親にそれを報告しても誉めてはくれなかった。

なぜなら、相手の子に負けたからである。

私は当時心底がっかりした。

そして、いくら自分が普段よりも良いパフォーマンスが発揮できたとしても

競争に勝たなければ評価されないということを知った。

 

小学生になってからも競争の教育は続いた。

テストの成績や体力測定など、あらゆる面で順位付けが行われ

トップの成績の子は表彰された。

 

義務教育の後半になればなるほど、他者との競争で勝つことが重要だという事を

その身に植え付けられる事になる。

 

今の私は適応障害の診断を受けて仕事を休養中で時間を持て余している。

この時間の中で冷静になってみる。

 

医師から言われたことは、以下のような内容だった。

「他者と比較して自分を責めないようにしなさい。」

「あなたはあなた自身であることに価値がある。」

「あなたの評価は他者との比較で決まるものでない。」

 

これらは私に意識しないようにしていても

「周囲から間接的に他者との競争に参加するようになっていた。」

ということを気づかせてくれた。

 

今の私は他人は超どうでも良いと思う。

他人がどんな車を乗っていようが、どんなブランド品を持っていようが

どれだけ収入があることを自慢してこようが、全てどうでも良いと思うようになった。

 

今の私は外に散歩へ出かける時もパジャマのままだ。

その姿を他人にどう見られているかなど気にもしない。

家族からは着替えるように言われるが

洗濯物が増えるので1日を1着だけで過ごした方が楽なのだ。

 

他人の目を気にして自分の時間を無駄に過ごすことほど

人生においてもったいないことはないと思うようになった。

 

そう、今の私は競争という負のループから脱出したのだ。

自分が良ければそれで良いのである。

 

寝る前に次のことを自分に聞いてみる。

「今日は楽しめたか?」

「今日やりたいことはできたか?」

 

そして自分から回答を得る。

「今日を楽しめた。」

「今日やりたいことを出来た。」

 

日によっては

「今日は楽しめなかった」

「今日やりたいことが出来なかった。」

という場合もある。

 

そんな時は

「何が楽しみを阻害したのか。」

「なぜやりたいことが出来なかったのか。」を問う。

 

たいていは「自分が休養中のあの仕事はどうなったんだろう。」

ということが浮かんでくる。

 

それなら、

「明日はその仕事よりも夢中になれるゲームをやろう。」

「明日はその仕事より楽しいアニメを観よう。」

と自分に言い聞かせて眠りにつくのだ。

 

休養中のときに気になるのは、

やはり「自分がしていた仕事がどうなったか。」ということ。

 

しかし、Youtube などで同じ悩みを抱えていた人の動画を見ていると

会社は自分がいなくても回るようにできているようだ。

 

それらの動画によると、自分一人抜けただけで回らなくなる会社は

経営人が無能だからだということ。

仕事量の調節や人員不足の管理などは、雇われの身である社員が考えることではない。

それは管理職や経営人の仕事であるからだ。

ということだ。

 

確かにそうだ。

雇用契約書を確認すると、自分の仕事内容はシステムエンジニア

設計書やプログラムを書くことで、人を管理するという仕事は記載されていない。

したがって、自分がいない間の仕事をどうするかを考えるのは

管理職や経営人の仕事であると言える。

 

このように冷静になってみると

「ああ、今まで余計なことばかり考えていたんだな。」

(自分がやらなくていいことまで、やらなきゃいけないと勘違いしていたんだな。)

と気づいた。

 

一度仕事から離れて、たっぷり時間が出来れば色々と見えてくるものがあるものだ。